母
ごめんください。
昨年12月31日は先代の亡母の100歳の誕生日でした。
造り酒屋の出の母は、小さな頃から大晦日の忙しさで誕生日のことなど忘れられていたようです。
嫁に来てからも同じく、誰からも”おめでとう”と言われた事がなく
自分でもいくつになったのかさえうっかりしていたと笑っていました。
34㎏の小さな身体で、戦前戦後のめまぐるしい時代に
大勢の蔵人のまかない、4人の子育て、そして商売としっかりと気丈に支えてきました。
私も若い頃はきついひと言がこわかったです。
女だからというより、人としてという考え方が常に基本にありました。
人の批判をしない!
思った事は最後まで責任を持ってやり遂げる!
後ろを振り返らず前向きに!!
有言実行でした。
晩年、緑内障で光を失った母は私の声を聞くだけで心の中を見透かし、心配してくれました。
私も何かにつけ相談し、嫁二人、まるで同志のように話が弾み
歩行できなくなってからは、だんだん夢見る女学生のように可愛らしくなっていく母がとてもいとおしかったです。
あれから8年たちますが
なつかしがんすのぉー。