がんす。
ごめんください。
44年前、鷲田家に嫁いで受けたカルチャーショックをご披露させて下さい。
城下町の古い商家のせいなのか、同じ庄内で生まれ育ったはずなのに
鶴岡の言葉、会話に慣れるまで時間が必要でした。
お店にいらっしゃるお客様には
”おはようがんす” ”今日はお天気良くてよがんすのぉー。”
”お晩でがんす” ”雪になって寒がんすのぉー。”
御用があっていらしたお客様には、先代の父が
「どうか上がらして、御一服よがんす。」と言って
土縁あるいは茶の間にお通しして”一服”と言う声が聞こえたら、私はお茶出しをします。
お帰りの際は”おそうそでがんす。またどうか。”とお送りします。
一番目を丸くしたのは、母の母(おばあちゃん)が御出でになった時のこと。
実の親子なのに顔を上げず、二人で三つ指をついて
「先だっては痛み入りましてありがとうがんす。」
「いいえ、こちらこそもっけでがんす。どうかごゆっくり。」
と畳のヘリを避けてお互い挨拶します。
行儀作法を身につけ、品の良い着物の着こなしで、決して前に出ず、いつも一歩控えめのおばあちゃんでした。
今はそんな会話や言葉を使う方は少なくなり、寂しくなりましたけれど
ゆったりとしてリズミカルに心地良い鶴岡言葉は、本当に大好きです。
心が潤います。
”私も心してよがんすのぉー”と使わせていただき、ありがとうがんす。